「ちはやふる」31巻を読んで

現在連載中の漫画作品で、刊行される度に購入している「ちはやふる」(著:末次由紀さん)。
実写映画については、多分賛否両論あると思うし、たとえどれだけ原作を忠実になぞっていても「上映時間」「映像表現」「入れられるセリフ・シーン」には限界があって、誰にもぴったりとくる作品になるはずがないので、時間のあるときに観に行きたいなーと思う程度で筆はとどめておきたい。
似せれば似せるだけ違いに目が行くのは当然であると思うので。

ちはやふる
末次由紀さんの他作品を読んだことがないので、比較はできないけれど、ちはやふるに関しては「繰り返しの多用」が特徴的であると思う。


小学生編の綿谷新の「真島 おめぇひきょうなやつやの」。

高校編序盤の原田先生の「“青春ぜんぶ懸けたって強くなれない”?
まつげくん 懸けてから言いなさい」。

例えば、中心人物の一人、真島太一にスポットが当たっている場面では、こういったセリフが何度も繰り返される。
回想シーンというか、回想コマ、セリフ。
「しつこい」とか「シーンに後々意味を持たせるために付け足している」という捉え方もできると思う。(し、後付でない、とも言いきれない部分もある)

だけど、作品を通してこの繰り返しがたくさんあるものだから、「ああ、このシーンのこれを、ここに繋げているんだな」と読み返す楽しさがある。
末次由紀さんが今後、どのシーンを軸に添えて話を展開していくのだろうと予想する楽しさがある。


31巻は、ついに「綾瀬千早」「真島太一」「綿谷新」の三人が高校選手権の会場に揃う。
最近専ら気になっているのは、物語の最後は「千早と太一」なのか、「千早と新」なのか、それとも「三人」で締めようとするのか、ということで。
31巻には、千早が太一に気づき、そして新に気づくシーンがある。
「目の前にいるのはおれやよ」という新の心情が描かれた直後、「ちはやぶる」の札に顔を上げた千早が太一に気づき、その後に新に顔を向ける。

「新… 私… 私…」

ここが、どうも23巻時点の千早の気持ちからの変化を描いているように思えてならず、ずーっと新が千早の相手役だと思って読んでいた私は「あ あああ??」と予想が見事に外れている気分になった。
(ので、久しぶりにエントリを書いている)

ちはやふるは、少女漫画であるがスポーツものでもあり、キャラクターが割合多く設定されている作品だと思っている。
(スポーツものは大概、中心となる主人公側のキャラクターと他校の選手、応援役、家族、指導役…と、設定が増えていくのが常ではないかな)

主要キャラクターの「綾瀬千早」「真島太一」「綿谷新」の三人の役回りが面白い。

千早はかるた馬鹿であり、ものすごくまっすぐで、かるた以外は鈍感であり、気遣いもあまり得意ではない。
かるたに関しては、「感じ」の良さがよく描かれているが、彼女の強さは「かるたに関係することで発揮される感受性の強さ」でもあるような気がする。
かるたは、彼女が初めて自分で見つけた夢、である。
「夢」の定義を与えたのは綿谷新。

太一は、小学生時代と高校編で大きく成長を見せている。
太一の母親(ミセスプレッシャー)による教育の弊害が、小学生編では顕著だったが、逆に高校編ではその「弊害」が何より太一の軸になっているし(「卑怯なやつになりたくない」)、小学生時代の負い目が新に対しては未だあるように見える。
普通なら、悪意をもった表現をするなら、小学生時代だけを見ると太一は「新という正史相手役に対する噛ませ」として描かれていてもおかしくない。

新は、千早を特別に思うに至る経緯がはっきりしている、ように私は思う。
小学生時代の「あたしが綿谷くんだったら 笑うためにメモとってる人と話したくないなぁ」。
「こんなさびしいのは あたしだけじゃないよねぇ?」からの、三人での最後のチーム戦は素直に泣ける。
無論「お話」であるから、新が千早と出会わなかったらという「もしも」は想像したところであまり意味がないのだが、関東で千早と出会わなかったら、新の祖父が亡くなったことで新はかるたをそのままやめてしまったのではないか、と思う。

それくらい、新と千早は互いに互いの「かるた人生」に影響を与えている存在である、と読んでいた。だから、相手役は新である、と。


だが31巻はどうだろう。
高校選手権の三位決定戦では、ついに「新が」負ける。
千早とチームを支え続けた太一が抜けて尚、千早が太一の代わりになるようにして勝ち進んできた瑞沢。
三位決定戦は、だから、「太一のチーム」対「新のチーム」と作者は捉え、描いていたのではないか、と思う。

そして、太一がやってきたところで、かるたを通して太一に目を向ける千早。
そして前述のモノローグ。
これは、太一と千早で最後まとまるんじゃないかなぁ、と考えを変えざるを得ない…とまではいかないものの、新とすんなりハッピーエンドではないように感じている最近なのであった。


恐らく、31巻のシーンもまた、「繰り返し」に使われていくのだろうと思う。願わくば、物語がどのように進むにせよ、太一が幸せであってほしいと思う。
(キャラクターとしては、太一が一番変化していて、応援したくなる立ち位置なので)
まとまらないが、31巻はまた何かの変化を感じさせる中身で面白かった。早く続きが読みたい。

TRIGUNクッソ好き

ニコニコ動画が好きで、ボーカロイドのPV、艦隊これくしょんや刀剣乱舞などに興味がある人の一定数は、フリーソフトであるMikuMikiDanceをパソコンに入れたことがあるのではないか、と思っている。
まぁあたかも自分の立場がメジャーであるように書いているが、単に、本当に単にMMDというソフトはすごいしモデル作成、そしてそのモデル・ステージを活用した作品すごいですよね、という話がしたいだけの前段。

D

ほんとにこれすっげー好きです。

去年の血界戦線フィーバーには完全に乗り遅れたのだけど、内藤先生が書いた漫画だった、というところをさっぱり把握できていなかったので相変わらず私のアンテナがクソだな、と思っています。
面白いですよね。

内藤作品と言えばやはりTRIGUNなのだけど、TRIGUNのあとがき漫画に見える「ロボ、ギミックたっぷりの玩具大好きな内藤泰弘」という人が、TRIGUN以上に自分の描きたい画面を描ける舞台を用意し、連載しているってのがまず熱いなぁと思っています。

血界戦線は、読者の分身(一番身近に感じられる存在)は恐らくレオナルドだと思うのだけど、その「特異な眼」しか持っていない彼が、「いつまでも守るべき妹」「友達」「同僚」を裏切らず、ある種絶望的に見える状況でも後退せず立ち向かうカタルシスたるや、読んでいて気持ちいいまである。
きちんと、少年漫画の主人公なんですよね。
正しく血反吐を吐き、怪我をし、エピローグで笑えるレオナルドという人物。


表題のTRIGUNですが、最近読み返して、ウルフウッドの心情(というか既に生き方)変化がすさまじく、たかだか精神は20代少しの「ドライになることでしか生きていく選択肢を見いだせなかったニコ」がヴァッシュという人物に出会い、反目し、でも別れることもできず、友達になっていくたった何年の出来事がとてもとてもいい物語に思えている最近です。
いや、通し読みするとGUN-HO-GUNS戦とかあんなにいらなくない?とか色々思うところはあるんですが。ケチをつけるところが0かと言うと全然そんなことはないんですが。

ニコラス・D・ウルフウッドが変化していく物語としては、とても満足のいく作品です。

ヴァッシュにとっては、ニコラスは大切な地球上の人間たちの大切な一人であり、で「しか」ないのかなぁということもたまに考えてしまいますが。
エレンディラ戦でヴァッシュ側の心情が少し垣間見えますよね。

私個人としては、ヴァッシュにとってはウルフウッドもコロニーのじいさんも武器屋の店主も皆特別な人、だと思っています。
ウルフウッドだけが特別だとは思っていません。恐らくヴァッシュの地上に降りてからの人生では、たくさんの人が彼の傍にいて、そして死んでいった。その一人がウルフウッドである、という解釈であります。
達観しているわけではない、「駄々っ子」とウルフウッドには評されていますが、それでも本当に全部助けたい、全部。そこは嘘じゃない。


結論としてはTRIGUNクッソ好きです。
そしてTRIGUNMMDも超好きです。

ネット通販に慣れていく自分

信販売と言えば、私は
①テレビショッピング(ダイエットグッズ、様々な便利家電、食品など)
通販生活のような雑誌
③ネット通販
という順番で連想していたのだと思うのだが。

もう今は ③ネット通販一択 なのです。

積極的に使いだすまでは、ネットショッピングというと、時間はかかる、送料がかかる、さして安くない(高い)というマイナスイメージだったのですが、Amazonを利用するようになってからはもう、勝手に届く、送料無料、まぁまぁ安いと三拍子揃っているシステムにほれぼれするばかりでした。
大体がして、少し古いゲームソフトが安いのなんの。
たくさんのソフトを在庫として置いておけない店舗と違い、倉庫に在庫を揃えているAmazonは買いたいコンシューマゲームが大体買えてしまいます。
(もちろん、とても古い作品や、もうメーカーがなくなってしまったソフトは手に入れにくいですが)

近所からゲーム屋がなくなり、TSUTAYAやゲオでしかゲームを買えなくなった私からすると、ネット通販というのはありがたい存在なのです。
現在は違いますが、以前は関東に暮らしていましたので、Amazonに頼んだものが届くスピードには毎回驚かされました。きっと今でも速いのでしょうね。


しかし、慣れるとどうしても、「これくらい当たり前」の範囲が広がっていってしまうな、とも思います。
ネット通販で先日、ほぼ日手帳を購入手続きしたのですが、届くのが1月6日以降ということに今日気づきました。きちんと読んでおけば、loftまで買いに行ったのになぁと反省。
(ちょうどネット通販が仕事じまいした後だったので、キャンセルにして自分で買いにいくことにしました)

新年から、手で日記を書こうと思っていたのですが、どうがんばっても間に合わないのでがっくりでした。
がっくりする前に、新年前に当たり前に届くと思っていた自分に驚きます。

当たり前ですよね、年末年始は休むべきです。
慣れというのは恐ろしい。

積みゲーを消化しよう年末年始キャンペーン

とりあえずテイルズオブヴェスペリアを終わらせます。
それから、ロロナのアトリエをきちんと楽しんで、金色のコルダ3の本編を全員クリアまで持っていき、アナザースカイをやりたいものから消化したいと思います…。

やりたいのはゼノブレイドなのですが、Wiiを家族TVに繋いでいるので、多分やりこむまではいけないだろうなぁ。


TOVは前評判が高すぎて、自分の中での期待値も高すぎた結果、どっぷりはまれずにいます。
煙幕で毎回敵キャラに逃げられてしまう展開だとか、敵キャラが隠れていたのにいち早く気が付く主人公だとかがなぁ…
他の作品でもあるのにね。

ただ、パーティのキャラクターは魅力的ですし、カロルの成長であるとか、レイヴンが時折見せる人魔戦争の傷跡だとかはとても好きです。
適当に、ご都合主義に感じるところは目をつぶるのが大切ですね。
戦闘が面白く、キャラクターがいい、というのがテイルズの強みだなぁ。

大逆転裁判感想②

捜査パートについて。

これも、微妙でした。△。
ホームズをどうしてこの作品に登場させたのだろうか、(いや、彼はお話において必要なキャラクターなのだろうか)という感想をもってしまったのです。

新しく導入した「ホームズと成歩堂の推理ショー」に、飽きてしまったのが大きいです。
裁判パートの「おかしな証言についてつっこむ」という場面がよくでてきますが、推理ショーはその「待った!」「異議あり!」を捜査パートに持ち込もうとした、のかなと意図解釈しています。

でも、面白くなかったんだよなぁ。


少し話がずれますが、大逆転裁判をやったあとに、逆転裁判1・2・3をプレイしています。
プレイしていると、自分が逆転裁判の何を面白いと感じたかがよくわかります。

結局、「裁判の中身」なのですよね。

新しい証拠・証言が出てくる、新しい容疑者が証言台に立つ、それによって二転三転する推理、トリック。
逆転裁判シリーズに求めるのは、裁判パートの面白さです。
捜査パートは、1くらいシンプルで短くてもいい。
サイコロックがなくたっていい。

大逆転裁判は、逆転裁判シリーズにあった「二転三転」を陪審員制でなくしてしまった。
有罪に転がったものをもう一度ただ無罪に傾かせる作業。
捜査パートを面白くしようとしたために、私からすると「はよ裁判パートさせてくれ」と思うようなボリュームになってしまった。

肝心の裁判の中身。
賛否両論あると思いますが、期待していたものではありませんでした。

序章は、従来通りの中身だったかな、と思います。
(それでも、第一章にしては難しいなぁと思いましたが)

奇をてらったシナリオも後半出てきますが、求めていたものではない、というのが本心です。
3章から最終章にかけての、死んだ彼のことをもう少し掘り下げてほしかったし、もう1話入れてもよかったのでは、と思っています。



大逆転裁判は、以上より、期待通りの出来栄えには感じられませんでした。
ただ、次作が出たら買うと思います。
今回の伏線が上手に回収されるかもしれませんし、1・2・3が「綾里家の物語」であったように、大逆転シリーズが「亜双義の物語」であり、その繋がりに次作で納得するかもしれませんので。

大逆転裁判をやってみて、自分がこのシリーズの良さは「裁判の面白さ」と思っていたのがよくわかりました。
キャラクターは好きなのに、逆転検事シリーズにはあまりはまれなかった理由も多分、「裁判があまりない」「捜査が長い」ことなのだろうと思います。

大逆転裁判感想①

前の日記が1月ということで、なんと11か月ぶりの日記です。
まぁいいのです。


今年の夏に、逆転裁判シリーズの新作(新シリーズ)が発売されました。
大逆転裁判」。
満を持しての発売です。

主役は、逆転裁判シリーズをプレイされた方ならおなじみの成歩堂龍一のご先祖、成歩堂龍之介。
しかも、今回はそもそも弁護士ではなく、大学生という肩書のキャラクターです。
舞台設定は、1〜5の時代からさかのぼり、「大日本帝国」の時代。
当然、前作までのようなカガク捜査はできませんので、「指紋」「血液検査」などがありません。


先日、この大逆転裁判をクリアしました。
結論から言うと、「面白くなかった」。
ただ、「何が面白くなかった」のか言語化できませんでした。
(風呂敷のたたみ方についてどうこう言いたい、というわけではありません)


まず、キャラクター・世界設定を一新させたことについては、私は納得しています。

1〜5の成歩堂王泥喜を中心としたストーリーには、正直これ以上広げようがない、とスタッフが判断した可能性。
また、ナンバリングが進むごとにカガク捜査が進化していく傾向があり、時系列を進めてしまえばストーリー作りが難しくなってしまう可能性。
結局「有能な警察・検察」が存在するなら、「捜査の間違い」「被疑者取り違え」は起こりません。
そもそも「逆転させる裁判」が起こりうる状況というのは、「間違った捜査」が必須ではないでしょうか。

弁護側が主役であり、検察・警察・裁判官の考えを逆転させるという従来のコンセプトを続けるなら、やはり「無能な警察・検察」は必須だと考えます。
故に、「納得◎」です。

では次に、裁判システムについて。
ここは、△。

裁判のシステムは、従来通りの「待った!」「異議あり!」と「法廷記録」を駆使しながら、裁判を進めていく形式です。
今回は舞台が主に大英帝国ということで、陪審員制。
証言は、「レイトン&逆転裁判」と同じような複数人が証言する形式です。
ある証人が証言しているときに、他の証人につっこむことができます。
一度使った新要素を大逆転にも入れてきたのは、裁判の展開をさらに面白くしたいというスタッフの意図なのでしょう。

陪審員制は微妙な感触でした。
陪審員が有罪or無罪と判断したタイミングで一旦有罪に傾くと、直接陪審員を説得する場面に移るのですが、この「陪審員を説得する」場面が毎回のように入り、正直を言うとワンパターンに感じてしまいました。
5章まで話があるなら、そのうち1章くらいにそういう展開があればいい、くらいに思ってしまいました。

「有罪」を覆すチャンスがあるという、弁護士側にあまりに有利なシステムで、手詰まり感が薄く、依頼人のピンチも大してピンチではないので、面白くないなーと思ってしまった。


大逆転は、「新要素をつめすぎた」感があるのですよね。